※お題募集記事の為本文は
一定数コメントが集まった後追加という感じになってます。
あの保育園との対比のシーンを皮肉ととるか…救いととるかは人それぞれだと思う。
自分は救いであって欲しいと思う。
でも実は、グロンギも人間なんだよね
魔石ゲブロンの力で変身してる人間
分かり合えるモノもいれば最後まで相容れないモノもいる
人と人は絶対に分かり合えると言うのは奇麗事
「でもだからこそ実現したいじゃない、本当は奇麗事が良いんだから」
っていうのがクウガのメッセージなのかもしれない
実際は人間と人間でも相容れない事も少なくないからじゃない?
園児なら仲直りができてもね、大きくなると色々あってすんなりとは行かない。例えば手を差し伸べても払いのけられたり、逆に差し伸べられた手をつかめなかったり。そのまま物別れになってしまって、二度と会わないまたは敵対関係になってしまう…誰しもそんな経験があるはず。
個人じゃなくても団体や国家間などでもそうだし。それがわかっているからそのような感触になるのではないかな。
ちなみにあのマウントからのタコ殴りのシーンでは実際にジャラジに入っていたスーツアクターさん(おぐらさんか福沢さん)が口の中を切ってしまったらしい。富永さんが加減を間違えてガチで頬にパンチを当ててしまっていたんだとか
そのエピソードのせいでジャラジの吐血が本物の血だと思ってる人がいるっぽいけど流石に血糊だよね?量多いし
マウントポジションを殴ったフリであの距離で撮ると、
殴ってないの丸分かりになるから本当に殴ってくれっていう
おぐらさんからの提案じゃ無かったっけ。
間違えて当たったとかじゃなく。
スーツアクターさんは現代リントの戦士や
お面の内側によっては生身よりも痛いかも
視界も狭いからヒットの瞬間も測れないかも知れない
五代さんの怒りと悲しみが仮面をしてても伝わってくるし
ジャラジを倒し終わった時の表情も暗くて切ない……
感情的には激怒していて容赦ないのに、頭は冷静なのか攻撃内容自体は理にかなっていて無駄なく適格に仕留めてるのが恐ろしい。
(怒りを通りこして殺意になっているというのか、絶対に殺害するという純粋な意志になってしまったというか)
もう何年も前に見た覚えがあるのだが、この話の感想を書いてあるサイトがあって、その中にヒーローは「敵を倒すための戦い」ではなく、「守りたいものを守る戦い」をしないといけないって書いてあるのを見て、すごく腑に落ちた。
確かに、今回の雄介は明らかに前者に傾いているんだよね。
強い怒りに突き動かされつつも被害者たちのことを思い浮かべながら殴る声に辛さや悲痛さが滲んでるのが五代だなあと思った
後悔や自責がないまぜになった怒りだったんだろうな
怪人がぼこぼこにやられてる!クウガ強い!カッコいい!
って感じだった
大人になった今は
あの暴力を嫌ってた五代があんな…
ってなる
頼もしい台詞の筈が何故か辛く悲しく聴こえた…
ジャラジ「君たちが苦しむのが楽しいから」
見事なまで対極で人間とグロンギの価値観の違いが垣間見れる。
しかし後半パートは既に語りつくされたくらいに伝説的だが
何気に序盤パートからしてジャラジ手裏剣が刺さる場面が
オダギリさんの演技力もあって痛そうさが生々しくてもう
これ、遠回しに、グロンギとは分かり合えないって言ってるんだよな、雄介
どんな気持ちでこれを言ってたのか……
しかも、実はグロンギも人間というね
子供達は手を取り合えたけど、ジャラジとは拳を交わし合うという映像もあって、色々辛い……
そんなグロンギも血は赤かった
物語終盤で椿さんが言ってたけど、生物としては人間とほぼ同質らしいからな
外側が同じでも中身でこれだけの差が出るってのはやっぱり真理だな…
ほぼというか、人間なんだよグロンギって
クウガと同じように、石の力で変身してる古代の人間がグロンギ
そうだったはず
古代の戦闘民族って話だから
そうでも思わないとやってられなかったって言うのはあると思う
それでもグロンギ相手に嫌いな暴力を振るい続ける辛さがたまっていってダグバ戦でメンタルが崩れかけた感じだし
怒りと憎悪に満ちた声の表現力はさすがとしか言いようがない。
いや本当に凄まじい。
これ見方を変えると、五代がやったことって・・・
故にクウガは「たとえヒーローが人々を守るために致し方なくとった行動とはいえ、決して暴力を肯定したりはしない」という想いは絶対に外さずに制作していたという
ジャラジが刺した針があの首飾りの物ならモーフィングパワーで小さくして刺してるだろうから
逆にジャラジを殺すと一斉に針が元の大きさに戻ってみんなを殺してたと思う。
あいつの性格ならやりかねない。
ジャラジの針に刺された奴は助からない
モーフィングで極小にした針が脳に達し、潜伏したあと時限で戻る
ドラゴンより素早くて、まがりなりにもゴのジャラジを殆どマイティだけでまともに動けなくなる程に痛めつけたり…憎しみのあまりライジングタイタンになったけど、多分ライジングにならなくても勝てたんだろうなと思う。
ジャラジは、ゴの中でも純粋な強さはないから
直接的に戦うと弱い(あくまでゴの基準では)
そして、本当はライジングマイティまで使おうかと思ってたんだよね、この時の雄介は
とは言えドラゴン戦は強かった
気配を消せる地形が得意フィールドに違いない
殺人者だけど、グロンギはみんな魅力的!
警察署のニュースで新たな犠牲者4人が出たと報道するシーンみて、
「そういえば、既に針を打ちこまれた生徒がいたんだよなあ・・・」と気が付き、物悲しくなった。
クウガの撮影会でグロンギを見たスポンサーの偉い人から(バンダイかは不明)
「高寺さんヤバイですよ、これはモンスターじゃなく人間に見える。ヒーローがバケモノを倒すのは後味が悪くないけど、人を殺してるように見えたらそれは人殺しになっちゃうからマズイでしょ」
スポンサーはファンタジーや虚構に見えるようにデザインして欲しかったそうで、実際この回を見るとその懸念は正解である。
ただ高寺Pとしては本作のテーマはまさに「そこ」なので思惑の通りだった。
例え相手が怪人でも、暴力や殺しのむなしさとか悲しさをずっと描写してるからね、クウガは
他にこんな仮面ライダー作品はない
だからこそのクウガの深みがあるんだけど
ルール無視して勝手に殺人をやったゴオマが1番軽蔑する対象というのがグロンギにとって何を重要視してるのかが分かる。
あんなジャラジも密かにザギバスゲゲルに意欲を燃やしてたな
「ザギバスゲゲルへ進むのは…僕だ…!」
…微笑ましいね!
ザザルは扇子がよく似合ってる
ゴの女性グロンギ達は何やら怪しげな魅力がある
見てる側も辛くなる話だよ。
高速移動してるなら時速何キロ出してるんだって話だし。
なんつーかクウガの世界観らしくない超能力。
確かに
ドラゴン戦から推測するに、気配を消して高速移動するのが得意なようだからワープではないはず
相手の心理もあって瞬間移動しているように錯覚するのでは
精神状態がおかしくなってる相手を前に音を立てながら出てきたり隠れたりを繰り返すから認識もおかしくなっていって瞬間移動してるように見えるって表現かと
どんな仕組みか分かりにくい、と言うかわからないのよね
良くも悪くも有名なエピだし
一条と五代、せめて五代は部屋から動くなよと思ってしまったな…
敵の最終目的は分かってるんだからどんだけ翻弄されようが部屋には現れるだろうよ。
最初の闘いで敵に遠投能力あることわかってるからなぁ。
部屋に入らなくても視線通れば刺されるぞ
ペガサスで探さなかったのは、ペガサスが50秒しかもたないからかな
それで見つけられなかったら(見つけても倒せなかったら)2時間変身できなくなっちゃうし
俺はそういう考えすらすっ飛んでしまうぐらい2人とも感情的になってたって見方かなぁ
劇中のゲゲルでトップクラスに胸糞悪いのもそうだけど、それ以上にこのコンビにこのゲゲルは地雷過ぎた
今回の話では90人という数字が逆に生々しさを感じさせたわ
なんせ「一つの学校の一学年の男子のみ」だからな
どこの誰かも分からない人間だとそこまで思わないのに、自分の同級生だけが90人もいなくなる
(卒業式にも出てこないし、おそらくアルバムにもフキダシ状態ですら載らない)
と考えたら急にその異常さがリアルに感じられてくるから不思議
自業自得であると同時にクウガがグロンギを殺すのも他人にゲゲルと同様の恐怖や苦痛をもたらす忌避すべきものであることがわかるのすき
世界中冒険してるから紛争、差別を目撃してるであろう五代が人間はそんな簡単に分かり合えるわけではないと理解してるはず、それでも言わずにはいられないんだろう。
アメリカだと訴訟かも?
決して憎しみで使ってはならない力だけどなにかを愛してるほど憎しみって出てきちゃうのよ・・
ちびっこには絶対伝わらんよねこのタイトルの意味
・ボコボコにしたらビートゴウラムで両足を潰し爆発ポイントに運搬
・針にはタイタンで即防御、顔面を殴る
・急ブレーキをかけて反動で吹っ飛ばす
・そのままライジングタイタンソードで滅多斬り
激怒しつつも的確な戦法をする五代が少し恐い。
雄介の精神状態がアレだからかなり怖いけどドラゴンで戦った敗北を教訓に装甲の堅いタイタンで対処しつつ機動力のなさは速攻足を折ってカバーするっていうフォームチェンジと戦術で勝つ流れ自体はいつものクウガなんだよね
魂は激怒しているが頭は冷静(というか冷酷)、という感じ。
バダーの時と比べるとそれほど焦りを感じてないように見える。
もしジャラジがンになっても、ダグバに殺されると思ってるのかも
そして、バダーはンになればダグバを殺せるかもしれないほど強かったから焦ってたとか
恐怖を与え続けてきた果てに恐怖と共に死ぬって言うのは皮肉が効いてるよね
自分がやってきたことに殉じた最後なんだし、ジャラジも本望なんじゃない?(超皮肉)
当時の児童書や超全集とかにも『第0号の正体はバラのタトゥの女!?』みたいな記事が多かった思い出
洞窟の奥の光の点滅はショッカー首領から指示を受けてるみたい
画面の中に居ないだけなのに本当に居なくなった様に見せるのは
カメラワークも演者さんも上手いんだなあと感じたよ
映像が物語上の不安と相まって五代君がどこかに居なくなって
しまいそうな所もすごかった。
ライジングドラゴンを上手いタイミングで使えてれば勝ててたかもしれないけど
ドラゴンだと針が防げずタイタンでは逃げられる
劇中の様にマイティでいきなり格闘戦に持ち込むのは最適解だったわけだな
ペガサスはどうだろう??
ジャラジは隠密得意そうだから見つける前に針飛んできそう
用心深いという評価のジャラジだし、姿を隠して時間切れ狙いそう。
というより余裕がないってのが正しいのかもしれないなぁ。
一条さんに自分のやり切れないって気持ちをぶつけてるから本当にいつもの余裕が出せない。
改めて、五代雄介は人間なんだと思わされる回。
初めて見ました。感想は非常にやるせないです。
もう、それだけです。
20年も経ってるのに、その発想はありませんでしたw
違うパターンを考えるなら、モーフィング能力で作った槍か剣で敵を倒し、それでマークを描くというあたりかな?
(筆記用具という線も捨てがたいけど)
あれも「整理」の儀式の一環なのかな
「自分がやりました」っていうアピールなのかもしれん
字が下手そうな所はなかなかリアル
字の美醜の感覚はある程度文明が進まないと起こらないと思う
日本だと墨と筆が入った後
現代のように気軽に紙と鉛筆を使えるわけじゃないし
バヂスもペンの持ち方がめちゃくちゃで線を引くのが下手くそだった
儀式を司るバルバは上手そう
文字を書く専門職がいた可能性もある
ルールがわかったらターゲットを一か所に集めて針を打ちこむのを待ち構えるとか、
逆に他県や外国に分散・逃亡させるという手も使えるから、楽とも言い切れない。
それに他の人も書き込んでるが、恐怖のあまり自殺する可能性だってある。
個人的には、ターゲットが転校したらゲゲルの対象になるのか気になる。
いうてゴ集団レベルだともう技巧からして超人だからどんなルールでもおおよそ完遂できる程度の難易度だし、むしろ実力よりもどれほど悟られないかの方が重要なところある
ジャラジも自殺されたらアウトな条件でゲゲルしてたわけで、転校生いなかったら詰みだったし、殺害人数多くても虐殺するだけなら楽だし、逆に少なくても不慮の事態から守らないといけないとなれば割とめんどくさい
SO-DO CHRONICLE 仮面ライダークウガトライチェイサー2000&装甲機ゴウラムセット
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幼稚園での喧嘩からの仲直りの過程で、「人間とグロンギは相容れないけど、人間と人間は分かり合える」ことの対比がされているって気づいたときは目から鱗だったと同時になんか悲しさがこみあげてきたなあ。何で悲しく思ったんだろう